「我らの神は、唯一絶対の神」 07.10.21
大嶋義太郎牧師
コリントの信徒へ手紙一8章1〜7節
今日、皆さんに覚えて貰いたい御言葉は4節の『唯一の神以外に、
いかなる神もいない』です。
第一に「我らの神は、唯一絶対の神」とは、私達の信仰は「汎神教」
では無いと言うことです。私達は、大自然を神様の不思議な知恵と力と
愛の御手の業だと信じて、神様を賛美しますが、神様として拝みません。
第二に「我らの神は、唯一絶対の神である」とは、私達の信仰は
「多神教」では無いと言うことです。「多神教」は自分好みの神々を
作り出して拝むままでした。唯物論者から「人間の欲望が神を作った」と
言われても弁解の仕様もありません。
第三に「我らの神は、唯一絶対の神である」とは、私達の信仰は
「拝唯一神教」では無いと言うことです。人間の心は理屈では変える
ことは出来ません。人々は相変わらず、多くの神々を拝む様になるのです
第四に「我らの神は、唯一絶対の神である」信仰は、私達を迷信から
開放します。パウロの答えは明快です。「もともと、世の中に偶像の神などは
ないのである」迷信に迷わされるな。これがパウロの答です。
ここで総論に入ります。『人間の心は理屈では変えることは出来ません』
『人間の心は真の愛によって変えられることが、出来るのです』。
「真の愛」 それは、イエス、キリストにあります。
静かに自分を見つめ、省みる時、自分が、いかに自己中心で、身勝手な
人間で在ったかを思わせられます。神様は、この様な私を愛してくださると
知った時、その人は神に知られているのです。そしてその時、『神様を知った』と
言えるのです。
神様が、その独り子であるイエス、キリストを私達の罪の贖いとして
犠牲にして下さったことを知った時、私達は心の底から「貴方こそ、
唯一絶対の神様」と賛美しないでは、いられないのです。